小3の娘に重い過去を引き継ごうとする毒母

JW関係ありませんが、今でも納得できてない毒母エピソード。
小学3年生の時、母親が「本を買ってあげる」と私に言いました。
私の実家はお小遣いがなかったので、この時の私は非常に喜びましたが、本を買うために書店に行ったときにこれは起きました。

母親は日常的に、不遇な過去をしょっちゅう私に語っていました。
この本を読んだ時、私は子どもながらに「お母さんは昔の辛かったことをどうしても私に理解させたいんだな」と思いました。
また、子どもなら親の不幸を必ず引き継がなければならないんだと思っていました。

なお余談ですが、twitter見てる限りJWにおける毒親発生率は異常だなと思わざるを得ません。




JW思い出供養⑯"霊的に"弱っている高校生私、バスガイドの特権を強制される

"霊的に"弱っている少女時代の私を、特権で"励まそうと"する奉仕の僕。
私自身も非常に頑固な性格ではあったが、とにかく「組織ぐるみで教育するんだ」という押し付けがましさと、嫌だと言っていることでも強要する組織の体質が非常に辛かった。

※ 登場する人物は仮名です。






テレビを見ていてたまにこうなる

私は小~高校生時に感じた疎外感を未だに消化しきれていなくて、特にCM映像に対してこんな感覚を覚える
幸せな親子の映像と私との間に規制線テープの存在を感じてしまう
#漫画 #JehovahsWitnesses2 #JW2 #alienation #KeepOutTape #規制線

エホバの証人脱塔者のたどるステップの一例

"A Life cycle of Detoxifying curse of Watchtower"

脱塔者のたどるステップのモデル

以下の図は私が考える脱塔者のたどるステップの一例です。これが全員にあてはまると言っているわけではなく、あくまで私自身と周囲の方から見聞きした経験に基づく私見です。


実際には、人によって辿る過程はさまざま

エホバの証人をやめた人々のSNSを見ると、皆発言のトーンや姿勢が様々だが、
 私はそれをその人の強さ・弱さではなく、それぞれ今居る脱塔ステータスがばらばらだからだと思っている

ある人は毒を次々と吐いていたり
ある人は淡々と思いつくままにJW教理の矛盾をつぶやいていたり
ある人はJWに関係ない書き込みが増えていたり
ある人はまったくSNSに姿を見せなくなっていたりする

 「辞めたくせにいまだに愚痴ばかり言っている」という批判をたまに目にするが
その人はたまたま毒吐きのステータスに居り、その期間が長引いているのである(と思う。)

それに、過去の苦悩を整理し、今後の問題を洗い出すためには踏まなければならない過程がある

攻撃的になったり、愚痴を延々吐いていたりする時期も立ち直りのためには必須なのである(と思う。)



STEPX~Xが同時進行している、という方もいらっしゃると思います。私もそうです。
殆どの人は上の絵のように、各ステップを順序よく辿るわけではなく、もっと複雑な過程を経ていると思います。
実際には以下の図のように上がったり下がったりを何度も往復しながら、徐々に方向性が煮詰まっていく感じかと思います。

私の場合、2と3は何度も落ちて繰り返しており、一番つらい時期でした。
現在ではやっと2に落ちることはなくなりましたが、3はいまだに繰り返していると思います。







JW思い出供養⑮自分の存在意義が自虐的になるエホバの証人2世

現役時代の真っ黒な気持ちの生活の中では、自分は他人がいかに幸せなのかを証明するために生きてると思ってました。
"Exist only to be compared with someone else"








JW思い出供養⑭子どもの甘えは許さない!奉仕のしもべ姉妹

親がいない時のハラスメントが嫌でした。JWも世間と変わらない。
"An "EXEMPLARY" JW makes fun of a girl"
※作中の呼称は仮名です。


現役だった子供時代、車で送り迎えをしてくださった人たちには本当に感謝しています。
雨風しのぎ、怪我も防止できたのでかなり助かりました。
ただ、親と離されているときに、出過ぎた指導をしてくる方がいてつらかった。
子どもなら誰もが楽しみであろう、祝日がくるのが苦痛でならんかった。

昔のこのブログのエントリーで書いた、この話を絵にしたものです。
「少女時代苦しかったこと(3)憂鬱な長時間の「野外宣教」 おやつ」











ツイッター投稿まとめ:エホバの証人の辛い経験は果たして役に立ったのか

エホバの証人の組織内での経験、たとえば「神権宣教学校」が後の人生の役に立ったという話を時々見ます。
しかしそれ、本当にものみの塔の組織が与えてくれたものなんでしょうか……?

以前は疑いもなくそう思っていた私も、今では否定します。
それはご本人のもともとの素質、才能だと考えます。


エホバの証人でなかったら、本当にそんなに"すらすら講話ができ"なかったのでしょうか。
エホバの証人でなかったら、本当にそんなに"漢字の読み書きが得意"でなかったのでしょうか。
社会人になりそうした能力が必要になったとき、「神権宣教学校」を受講しなければその能力は発揮されなかったのでしょうか。

そんなことはないはずです。

まだプレゼン力や漢字の読み書きが必要とされない幼少時代のうちに、「神権宣教学校」によってその能力が早期に引き出されたというだけの話だと思います。

そのような能力は元々あなたが持っていた素質であり、就職後など、必要になればきちんと自分の力で発揮できていたはずだと私は考えています。


もしかしたら、長期に亘って苦労したエホバの証人時代の経験を無駄にしたくないという心理が、私たちにそんなふうに思わせるのかなあと、考えています。