過眠症 絶望から逃げる行動

高校生の頃から私は過眠症をわずらっている(わずらう、というほど大げさな言い方はふさわしくないと思うが)。

眠るべきでないときに眠気が襲ってきたときはつらくてたまらない。
去年の前半はそれがかなりひどく、検査入院までした。
診断結果の際、確かに「過眠症」の症状だが、病的なものを原因としないため対策法が難しく、はっきり申し上げて打つ手がない、といわれた。
欝だの、精神面での健康問題が認知されるようになった昨今、こういう人は多いそうである。

私のばあいは高校生のときからであるが、どういうときに「過眠」とたたかっていたかって、エホバの証人の集会にきまっている。
はじめの祈りが終わり、あのもったりとした、シンとした、なにかに押し潰されたような時間がはじまる。
10分とたたないうちに、いくら十分睡眠をとっていた日であっても眠気はおそってきた。

席が前のほうだとほんとうにしんどかった。後の席の目を気にするからである。
また母親はヒス気味なので、少し頭がコクンとするとこづいてくる。機嫌の悪い日はまわりに聞こえるように注意する。

どんなにはずかしい目にあっても、私の居眠りは、集会への出席をやめる27才まで治らなかった。


私は20代のなかばにさしかかった頃、これが単なる怠惰の眠気でないことに気づいていた。
あまりにも病的な眠気のおそいかたに、なんとなく恐怖していた。

これは自分の身体の、逃避行動にちがいないと思っていた。


集会中、ハッと目がさめることがある。
それは「ものみの塔研究」などの最中、自分たち若者への「禁止事項」が増える瞬間である。

※「ものみの塔」…エホバの証人の月刊宗教紙みたいなものです。「目ざめよ!」とセットになっていました。

「オルタナティブ ミュージックはふさわしくありません。」
「インターネットの用い方に注意していますか?」
「学校の友達から○○に誘われたら、ふさわしい行動をとれますか?」
「携帯電話を持つことはふさわしいでしょうか?」
「異性が(どうのこうの、ハイ、全部禁止)以下略」


ハッと目が冴える。
また増えたか。
なんかの罪状を言い渡されたような気分になる。

しかし、ほぼ20年間こんな集会に通って通って通い続け、あまりに刺激がなくなっていた頃である。

そうした通告を耳にするのが、いやなんだけれども、なんだか快感のような、
妙な感覚だった。

あのお堅い「ものみの塔」に”オルタナティブミュージック”だの”インターネット”だの
現代的な単語が並ぶことに違和感があった。
新しい号が出ると、今回はなにを禁止にされたのか、一番に探すのがある意味楽しみ(快感)になっていた。

開いて1、2秒で禁止事項のキーワードを発見できるようになっていた。


こんなふうに鬱屈した、ねじまがった、抑圧された若者時代、あんな週に三回、二時間もある説教集会のなにに希望があろう。
今の自分から思えば、幼年時代、少年時代、あの状況で身体がなんらかの拒絶反応をしめさないわけがないと思う。


後遺症は現在も続く。
仕事がひまになったとき、あの眠気がおそう。
��ひまで遊んでいるように見られてしまうのがたまらなく怖い)
マイナスイメージは絶対危険な立場であるにもかかわらず。
脳内にある種の絶望がみなぎってくると、あの眠気がおそう。


いつか、集会と伝道活動にささげた時間を計算したことがある。
卒倒するような時間だった。

あれだけの時間があれば、この世の幸せな普通の子供たちはどんな遊びに費やすのだろう。
どんなスキルをあげるだろう。
洋服をえらぶのも、じょうずになるだろう。
人との付き合い方も、たくさんまなべるだろう。


あの無駄な睡眠で、いったい私はなにを得たのだろう。

いや、
失ったのだろう。







エホバの証人の特徴的言い回し

エホバの証人には独特な言葉の使い方、というか言い回しが数多くあります。
今耳にしたり、目にしたりすると、あの妙な感じが寒気を誘います。

おそらくエホバの証人は実質的にはUS発祥ですから、アメリカ文化で価値観や表現方法が成り立っているのではないかと思います。
英語のニュアンスを忠実に再現したものがこれらなのでしょうか。
英語は好きでしたが、聖書関連の読み物に一切興味がなかったので語句の比較までしたことはありません。
でもたぶん、語感的に英語調の感じがしますね。

しかし、日常会話でこんな言い回しを使ったら明らかに異様ですよね?
こう想像するとわかりやすいです。たとえばTVに映っている人がいきなりこんな言い回しをしたら。
自分の郷土の方言をテレビできくと、うは、いなかくさ、と思いますが、エホバの証人用語を日常生活の中で使う人にも似たような違和感をおぼえます。


・注解する(集会で挙手して発言・発表すること)

・集会を支持する(集会に積極的に参加すること というようなニュアンスだったと思われ)

・割り当て(他人への布教の仕方、話し方講座があるのですが、そこで数ヶ月に一度ほど生徒各々に順番がまわってきて、決まったテーマのもとに5分程度の話を披露します。そのことをこういいます。)

・開拓奉仕にあずかる(神への奉仕活動に積極的に参加することをこのように表現します)

・交わる(仲間と交流すること、コミュニケーションをはかることをこのように表現します。用例「もっとみんなと交わりなさい」「悪い交わり」)

・励まされる(一般用語と微妙に使用シーンが異なります。「何々君、受験日前日にもかかわらずたくさん注解されて~。はげまされるわぁ~。」)

いっぱいありますが、どんどん追加していきます。
今日は時間切れのためここまでで投稿します。