母親の問題

以前書いた記事の引用です。


幼少期、一番怖かったのは、母親がPTAの役員などになり、会合などで出かけてしまうことでした。
つまり、家に私たち子供と父親だけが残されることを非常に怖がっていました。
母親は
「いつもエホバに祈りなさい。お父さんは人間なのよ。あなたたちの親なのよ。敬いなさい。怖がることないのよ。」
といつもいっていました。




私はこれは、少し教育熱心な母親のよくある姿だと思っており、今まで異常とは思っていませんでした。
私はむしろ、このあと発生した、父親の暴力のほうに完全に注意を奪われていたのですが…

これにはもっと重大な問題が隠れていたんですね。


母親に日常的に暴力を振るい、子供とは親子関係が完全に破綻している夫がいるところに、
小学低学年の子供ふたりを置き去りにして出かける、
このこと自体が異常だったんですね・・・。


子供の年齢に不釣合いな行動を期待し、(上記の件でいうと、父親の暴力行為を見ても逃げずに毅然とする、ということ)
子供がそれをやり遂げることで自らの何かを満たすということで、間接的に支配していたんですよね。

最近の傾向はどうだかは知りませんが、私の幼年期、「バプテスマ」(意味・詳細は別途お調べください)を
小学生の頃受けた子供やその親は模範的ともてはやされていました。

祈っても何かの方法で助けてくれるわけではない神、矛盾した理屈※1で人間界の苦しみや悪事を放置している神、
そんな神様に対し無条件の服従を誓う行為を、年齢が二桁にとどかない子供に要求するのです。

※1 エホバ神は絶対の存在で、この世のすべてのものより強く、不可能はない。
だが、そのエホバの創造した完全な人間アダムとエバは罪を犯した。このこと自体、神が創った創造物は不完全だったということになるのではないか。

更に、神は不完全になった人間を修正するのではなく、サタンと人間と神の間に論争を置き、一定の期間人間を放置し、不完全な人間の中にも神に絶対服従を成し遂げる者が必ず存在してくるはずなので、つまりエホバ神がやはりこの世で唯一正しいのである、という教義。
またそれを証明するためにやむを得ず、人間界の悪や苦しみが一時放任されているという理屈。
不可能はないはずの神が、不完全なものにわざわざそれを証明してもらわねばならないのか。
万能の神が自ら愛するという、自らが造った欠陥のある人間に、苦しみを強要せずとも他のすべてが丸く解決する方法をとらないのはなぜなのか。
その方法が一番よい選択だったのであれば、つまり人間が苦しまなくてよくすることが「不可能」だったということなのではないか。



大人ですら理解に時間の必要な、サタンと人間と神をめぐる裁判・証明の期間というものを
理解した、と名言させ表明させるバプテスマ。


年齢につりあわないことを強要し、なぜと疑問を抱くこと自体が不信仰と決め付け
成長をにぎりつぶして子供の精神を殺していく教育。

いつだったかエホバの証人の雑誌だったか本だったかに書かれていましたよね、
長時間にぎりつぶしたバネのように、子供をしてしまわないように、との説教。


それをやっているのは、あなたたち教団と、無意識に子供を妬みとフラストレーションの
捌け口にしている、あなたたち母親の皆さんです。