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ツイッター投稿まとめ:エホバの証人の死生観とお葬式


















永遠の命

フェードアウトを決め家から遠く離れ、一人の生活を切り開いた頃、それまであんまり具体的に考えようとしなかったあることに脳内で焦点を合わせるようになった。


“あー、、やっぱり私もいつか死ぬんだなあ”


子供の頃から「永遠の命」の教えをずーっと何となく疑っていたけれど、それでいながら永遠の命にすがっているようなメンタリティだった。


“うわあ、、、このあっという間に過ぎる10年サイクルをあと5回くらい繰り返したら、
身体もガッタガタになって、いつ死ぬかと準備をするような年齢になってるんだなあ”

“疎まれながら世話されて、あの棺桶入って、参列者の時間をとって、あの焼却炉に入るのかあ。。”


と、それが本当に起きるんだとハッキリ考えるようになり恐ろしかった。そこまで具体的に考えたことがなかったから。


突然「永遠の命」の希望を失ったことに何年も苦しんだが、今はわりと解放されている。

核ミサイルの脅威があるから、Jアラートの音を認知しときましょうとか、シェルターが売れているとかひっきりなしにニュースでやってるんだけど、そんな目に遭うなんてものすごい確率だし、それにそんなものに巻き込まれてまで、あらゆる手を尽くして生き残ってなんになるかなぁ~と、考えている。

そんな心配したり準備しながらビクビクと生活するほうが時間の無駄。それに自分が死んだところで誰も困らないし、自分自身も死んでなんか困ることあるかなあ?と考えたとき、特に何もない。うちは家族もしっかりしてるからしっかり生きるし。

とりあえず、今生きている限りは、生きていくための金を稼ぐし絶対この生活は崩さないし、ひとの迷惑にならないように生きる。そこは心に誓っている。


以前同人誌なかまに奨められて読んだ漫画の、湧太という主人公にめちゃくちゃ憧れる。
この主人公は人魚の肉を食ったがために永遠に生きなきゃならなくなり、どれだけ人生に飽々したり痛い思いをしても、人魚の肉の呪いゆえに死ねず、死ねないことに苦しみながら生きている、という設定。
しかし人魚を食った当時の若さのままで永遠に生きるという設定なので、私にとっては本当に理想的な永遠の命。


元エホバの証人のSNSを見ていると「永遠に生きてどうすんだよ」みたいな人、たくさんいるのだけど、私は肉体が若いのならば好きなだけ永遠に生きたいなあ。
戦争時代、超AI化社会、氷河期とかに、人がどんなふうに生きるのか体験したいし、いろんなやつと付き合いたいし、バックパッカーでもっといろんなところに行く。
寝ることと、何もせず時間をムダにすることが好きなので、永遠に時間をムダにするわぁ。


人魚の森 高橋 留美子 @amazonJP(アフィリンクではありません。単純なリンクです。)


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