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※この記事のツイートはすべて私見です。


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ブラックな派遣元でしたが、そうは言うても、結構経済的には恵まれたと思います。
しかし東京都で生活するにはやりくりに気をつけなきゃなりませんでした。やっぱり首都圏はお金がかかります。




ちなみに、派遣元への勤務報告の際に添付した連絡用紙が出てきた。
出張にかかる交通費もすべて自腹だったことが切実に訴えられている。(´;ω;`)

さらに当時の金銭計算メモと思われるものも出てきた。
金銭感覚もない上に料理するような時間もなかったため食費が結構かかっている。
そして娯楽費とおぼしき、「娯 400円」・・・w
なんなのかしばらくわからなかったのですが、コレ、多分TSUTAYAのDVDレンタルかな?(笑)娯楽月に400円て・・(´;ω;`)w



おかね

今日にわかに、はっきりと認識したことがある。

以前ブログに「未信者との子供作って、久々に記念式にあらわれた開拓者の娘が大歓迎されていたのが解せない」というような記事を書いたが、

やっぱりお金よね。
今考えると、あんなちっぽけな会館でも運営には結構カネがかかる。建物だし、何十人もが使うわけだし。

それを鑑みると、うちみたいな未信者父がいて寄付がろくに出せないような家なんかが優遇されるわけがない。

多少ルールに反しても優遇されたのはやっぱりお金持ちの家だ。思い返せば全員たがわず。

当時の自分はそんなことあり得ないと、はなから考えないようにしていたが、今にわかに認識した。

大いにあり得る、というか、金銭的に会衆を大きく支えてる家族をぞんざいに扱えるわけがない。

逆に会衆内で優位に立ちたいなら、カネにモノ言わせりゃいいんだ。
JW一世で世俗によく通じてる主婦なんかは当たり前の感覚だろう。

建て替えのときも、きっと何百万も出してるのね。

なんでこんなこと、いままで認めなかったんだろうな自分。
二世の一般的感覚の持ち合わせなさは、相当根が深いと思います。

訪問があった

エホバの証人の訪問があった。

カメラ付きインターホンですぐにそれとわかった。



私が引っ越すたびに私の母が、現地の会衆にたまに訪問してもらえるよう

手配をかけていることは予想しており、前々から何回か訪問があった。





今までそれの全てに応対してきた旦那がとても嫌がっていたが、

私は「訪問拒否」の意思を示せば当分は訪問対象から外れることを知っていたので、

前々から訪問者には一言言わなければ、と思っていた。



向こうも私が元信者であることを知っていて訪問してきている可能性があるので、

応対するのはとても億劫でイヤだったが、この日初めて私が応対した。



ドアの前にいたのは初老のご夫婦。身なりや物腰から、おそらく長老夫妻ではないかと思う。

平日昼間にはもぬけの殻と化すマンションだから、

私がドアから出てくると(あっ・・出てきた・・・・)という緊張した面持ちがすぐに見て取れた。

その気持ちは痛いくらいわかる。

私自身も長期間耐えてきた感覚だから。それは初老の大人とは言え同じだろう。







応対すると、夫妻のうち、ご主人のターンだったのだろう、

男性がやさしい口調で話し始めた。

「くつろいでおられたところ、出てきてくださってありがとうございます。実は」

といいながらビラのようなものを取り出しにかかる。



私はもう一人の婦人のほうに視線を走らせた。

品の良いマダムとも表現できるような服装のその婦人は、私と視線がぶつかる前にサッと視線を下にやった。

大変ひきつった面持ちで笑顔はない。



この表情を見て、瞬時にさまざまなことを悟った。



やはり、実家の母親からの依頼でこの訪問は寄越されており、この夫婦は私が元信者であることを知っている。

そして応対した私の服装や表情を見て、私が信心を離れたことを何一つ後悔しておらず、

むしろ自由であり、証人でいたころより幸せであることを知ったのだろう。

つまり、この私には少々の訪問で付け入る隙などは持ち合わせていないことを

向こうも一瞬のうちに悟ったのだろう。





ご主人は少々へんな間をもたせたあと、おもむろに

「今日はぜひともお伝えしたいことがあり・・・聖書について・・・」等、話し始めた。

最近は「エホバの証人」とは一切言わないような手法なのですね。



相手がどういうふうに話を進めるか手に取るようにわかる私は、

相手が文章と文章の間に一呼吸入れるのを見逃さなかった。

間髪いれずに「うちはちょっと。」と断りの文句を一言返す。



ご主人は「ああ、そうですか、あの、わずかな時間で・・」ともうひとかぶせ

相手の本意を見極めるための常套句を差してくる。



何を言えば相手が引き下がらざるをえないかを知っている私は

「すみません、怒られますので」と切り返した。



そして、向こうの気持が痛いほどわかる私には非常に言いづらい台詞を切り出した。

「もう今後は一切うかがっていただく必要ありませんので」

向こうの表情を見る余裕はなかった。



「ああ、そうでしたか。今日はわざわざ戸口に出てきてくださりありがとうございました」

と大変丁寧なあいさつを受けてからドア越しにお別れした。






私にはわかる。

拒絶されたのは彼ら自身ではなく、彼らの信条である。決して訪問した人間自身が否定されたのではない。



でも弱い人間ですから。

家の人が良い反応を示した時はどれほど救われるか。

うだつのあがらない自分の人生が、ある一人に認められたかのような瞬間なのだ。



若者が自分と年端の違わず、自由を謳歌する別の若者から帰れと言われた時は

どのくらい胸をえぐられる気持ちか。

完全奉仕の勤めを終えた帰途は重いグレーに沈み、さらに帰宅後のそして明日からも延々と続く

拒絶される日々は鉛のように重いのだ。