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JW思い出供養⑯"霊的に"弱っている高校生私、バスガイドの特権を強制される

"霊的に"弱っている少女時代の私を、特権で"励まそうと"する奉仕の僕。
私自身も非常に頑固な性格ではあったが、とにかく「組織ぐるみで教育するんだ」という押し付けがましさと、嫌だと言っていることでも強要する組織の体質が非常に辛かった。

※ 登場する人物は仮名です。






エホバの証人脱塔者のたどるステップの一例

"A Life cycle of Detoxifying curse of Watchtower"

脱塔者のたどるステップのモデル

以下の図は私が考える脱塔者のたどるステップの一例です。これが全員にあてはまると言っているわけではなく、あくまで私自身と周囲の方から見聞きした経験に基づく私見です。


実際には、人によって辿る過程はさまざま

エホバの証人をやめた人々のSNSを見ると、皆発言のトーンや姿勢が様々だが、
 私はそれをその人の強さ・弱さではなく、それぞれ今居る脱塔ステータスがばらばらだからだと思っている

ある人は毒を次々と吐いていたり
ある人は淡々と思いつくままにJW教理の矛盾をつぶやいていたり
ある人はJWに関係ない書き込みが増えていたり
ある人はまったくSNSに姿を見せなくなっていたりする

 「辞めたくせにいまだに愚痴ばかり言っている」という批判をたまに目にするが
その人はたまたま毒吐きのステータスに居り、その期間が長引いているのである(と思う。)

それに、過去の苦悩を整理し、今後の問題を洗い出すためには踏まなければならない過程がある

攻撃的になったり、愚痴を延々吐いていたりする時期も立ち直りのためには必須なのである(と思う。)



STEPX~Xが同時進行している、という方もいらっしゃると思います。私もそうです。
殆どの人は上の絵のように、各ステップを順序よく辿るわけではなく、もっと複雑な過程を経ていると思います。
実際には以下の図のように上がったり下がったりを何度も往復しながら、徐々に方向性が煮詰まっていく感じかと思います。

私の場合、2と3は何度も落ちて繰り返しており、一番つらい時期でした。
現在ではやっと2に落ちることはなくなりましたが、3はいまだに繰り返していると思います。







JW思い出供養⑮自分の存在意義が自虐的になるエホバの証人2世

現役時代の真っ黒な気持ちの生活の中では、自分は他人がいかに幸せなのかを証明するために生きてると思ってました。
"Exist only to be compared with someone else"








JW思い出供養⑭子どもの甘えは許さない!奉仕のしもべ姉妹

親がいない時のハラスメントが嫌でした。JWも世間と変わらない。
"An "EXEMPLARY" JW makes fun of a girl"
※作中の呼称は仮名です。


現役だった子供時代、車で送り迎えをしてくださった人たちには本当に感謝しています。
雨風しのぎ、怪我も防止できたのでかなり助かりました。
ただ、親と離されているときに、出過ぎた指導をしてくる方がいてつらかった。
子どもなら誰もが楽しみであろう、祝日がくるのが苦痛でならんかった。

昔のこのブログのエントリーで書いた、この話を絵にしたものです。
「少女時代苦しかったこと(3)憂鬱な長時間の「野外宣教」 おやつ」











JW思い出供養⑬自転車で、「思い出ぼろぼろ」

つらかった、王国会館への自転車通いの、13年間の思い出をここで成仏させる。
"5miles to Kingdom hall on the Bike for 13 years"













JW思い出供養⑫「サンデー・スリー・ピー・エム」

"Get back our Sunday 3 p.m."

なたは10歳のころ 日曜午後3時に何をしてましたか
わたしは 小学4年生のころとか 高校1年生のころとか 思い返しても
日曜の午後3時に 「集会」で座っている以外に 何かしていた記憶がまったくない



歳から高校を出る18歳まで
計算すると3600時間以上を 集会で座っている時間に充てているのだが
それだけあれば 一般の子どもだと どんな遊びや習い事に充てるのだろうか


たしはと言うと
集会で 次はどんな禁止事項がふえるのだろうかと
思春期のヤマ越えた頃には それを演台から言い渡されるのが
マゾヒスティックな快楽になっていました

あっ 今日は魔法の出て来るアニメが禁止になったな
あっ 今日はよく聴いてたジャンルの音楽が禁止になったな
あっ 今日はとうとう インターネットが見つかっちゃったか


い雑誌に 見慣れないカタカナ文字が突然出てくると
たいてい禁止事項です
野暮ったいおじさん長老が たどたどしく 「オルタナティブ・ミュージック」とか言うのが
おかしくて うっとおしくて だまってシラッとしていた



ういう無味乾燥な 子どもの時間はなんの役に立ったのか


3600時間を








JW思い出供養⑪エホバの証人でない=全部"邪悪"

エホバの証人でない=全部"邪悪"というものみの塔の考え方を痛感した中学時代のエピソード。
Jehovah rewards Pagan nation that respects not only human but also even a life of a small fish.








このお寺、今どうなっているかなと思ってGoogleマップで見てみたところ 今でも筆文字言葉の掲示を続けてました。
実直に実直に。


JW思い出供養⑨歪んだ性教育をするエホバの証人

エホバの証人は性に対して非常に偏ったネガティブな思想を信者に強要しており、私も思春期の頃はずいぶん翻弄され、その受け止め方に苦しみました。



JW思い出供養⑧子どものおもちゃで子どもを殴る毒親エホバの証人

車飛び降り事件と同時期、私が6歳当時の話です。
※作中の呼称は仮名です。










ムチの理由を覚えていない
何百回、いや何千回と当てられてきたムチだが、
不思議なことにムチされた理由をどれ一つ覚えてない。
今回の漫画も、実はこの時殴られた理由を覚えていない。

なんで覚えていないかというと、
母親は、同じことをしても怒る時と怒らないときがあり、
何をしたらムチされるのか、子ども当時も、皆目見当がつかなかった。
毎回寝耳に水な感じできまぐれにムチを当てられるので、
当時の自分は怒られた理由がよくわかっておらず、記憶に残っていないのだと思う。


当時の私は何にショックを受けたのか
ショックだったのは、お気に入りのおもちゃを壊されたこと自体ではなく、
私のおもちゃに対して感情をむき出しにした母の姿。
見てはいけないものを見た感じ。

いつものマゴのテを持ってこさせず、おもちゃをムチにしたのはわざとだと
いうのは子どもながらにもわかったが、
そのおもちゃの何が気に入らなかったのか一言も説明がなく
おもちゃを壊してしまったことへのわびも一言もなく
すべて非言語のメッセージで、当時6歳の私に“理由はわかるよな?"と
当てつけられたのが怖かった。


JW思い出供養⑦奉仕の僕(しもべ) 持ち物チェック~ある金曜の「生活と奉仕」集会編

長老や僕は地味だがなにげにナイスミドル多かったな
Burying memories prj. vol.7 "In My Bag" a Ministerial Servant A Fri night meeting edition.
#JW #cartoon #JehovahsWitnesses #InMyBag #DAYTONA

JW思い出供養⑥エホバ女子 持ち物チェック~ある日曜の集会編

注:私は右下のは持ち歩いてませんから


JW思い出供養④男女隣合わせはふしだら!なエホバの証人

中学生の娘から男性を排除する開拓者母。
30代女性のアンタはええんかい、という疑問が残るエピソードでした。





JW思い出供養③霊的家族の肖像

二世の人たちと飲んだ時、ある人に元いた会衆の写真をたくさん見せてもらった。
知らない人ばかりなんだけど、実際に顔を目にすると日頃の恨み言が全く出てこない。
不条理に湧く温かさ、哀れみの気持ち、ある意味故郷。



①6歳、マドンナ。JJI・BBAばかりの群れの奉仕が華やぐ。特開者と結婚してベテルへ。

②8歳、女子力高くて注解も冴えてる。短大でピアノ専攻、不道徳で排斥。

③52歳独身長老。声がでかくて公開講演で繰り出す”ユーモア”が一々寒い。必要のため長崎五島列島へ異動。

④67歳ベテラン開拓者。若い頃は特製のムチ製作方法を会衆に広めた。30人以上を"導いた"ことが公私共に認める伝説。「宿舎」番長。

⑤16歳、不活発な伝道者。エロ本が見つかり強制"自白"。高卒就職を機にフェードアウト。家庭を持ち軽の改造車を乗り回す。

⑥17歳、休暇中は補助開拓。開拓奉仕学校卒業後、即必要のため渡米。アルバイト先の空港職員の白人とデキ婚、排斥。

⑦20歳、身体が弱いため一般奉仕者。うつ病の母親姉妹といつもセットで行動。生涯独身。

⑧45歳、奉仕の僕。専業主婦開拓者の奥さんと二人の子ども。勤務先の半導体関連の中小がいつも"繁忙期"のため開拓奉仕はのらりくらりとかわしている。


大体モデルがいます
そんなこんなで、みんな散り散りバラバラだな
結局からだの弱い人や他のコミュニティに移れないタイプが残るんだよな。

JW思い出供養①走行中の車から飛び降りるエホバの証人

私が小1の頃の強烈に記憶に残っている話です。
私の母親にとってエホバ、集会は子どもの命より大切だった。

というか正確に言うと「必要なものはすべて与えられる」理論で、正しいことをすれば怪我はしない!死なない!みたいな盲目スタイルの信仰なのですね。