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エホバの証人脱塔者のたどるステップの一例

"A Life cycle of Detoxifying curse of Watchtower"

脱塔者のたどるステップのモデル

以下の図は私が考える脱塔者のたどるステップの一例です。これが全員にあてはまると言っているわけではなく、あくまで私自身と周囲の方から見聞きした経験に基づく私見です。


実際には、人によって辿る過程はさまざま

エホバの証人をやめた人々のSNSを見ると、皆発言のトーンや姿勢が様々だが、
 私はそれをその人の強さ・弱さではなく、それぞれ今居る脱塔ステータスがばらばらだからだと思っている

ある人は毒を次々と吐いていたり
ある人は淡々と思いつくままにJW教理の矛盾をつぶやいていたり
ある人はJWに関係ない書き込みが増えていたり
ある人はまったくSNSに姿を見せなくなっていたりする

 「辞めたくせにいまだに愚痴ばかり言っている」という批判をたまに目にするが
その人はたまたま毒吐きのステータスに居り、その期間が長引いているのである(と思う。)

それに、過去の苦悩を整理し、今後の問題を洗い出すためには踏まなければならない過程がある

攻撃的になったり、愚痴を延々吐いていたりする時期も立ち直りのためには必須なのである(と思う。)



STEPX~Xが同時進行している、という方もいらっしゃると思います。私もそうです。
殆どの人は上の絵のように、各ステップを順序よく辿るわけではなく、もっと複雑な過程を経ていると思います。
実際には以下の図のように上がったり下がったりを何度も往復しながら、徐々に方向性が煮詰まっていく感じかと思います。

私の場合、2と3は何度も落ちて繰り返しており、一番つらい時期でした。
現在ではやっと2に落ちることはなくなりましたが、3はいまだに繰り返していると思います。







JW思い出供養⑭子どもの甘えは許さない!奉仕のしもべ姉妹

親がいない時のハラスメントが嫌でした。JWも世間と変わらない。
"An "EXEMPLARY" JW makes fun of a girl"
※作中の呼称は仮名です。


現役だった子供時代、車で送り迎えをしてくださった人たちには本当に感謝しています。
雨風しのぎ、怪我も防止できたのでかなり助かりました。
ただ、親と離されているときに、出過ぎた指導をしてくる方がいてつらかった。
子どもなら誰もが楽しみであろう、祝日がくるのが苦痛でならんかった。

昔のこのブログのエントリーで書いた、この話を絵にしたものです。
「少女時代苦しかったこと(3)憂鬱な長時間の「野外宣教」 おやつ」











ツイッター投稿まとめ:エホバの証人の辛い経験は果たして役に立ったのか

エホバの証人の組織内での経験、たとえば「神権宣教学校」が後の人生の役に立ったという話を時々見ます。
しかしそれ、本当にものみの塔の組織が与えてくれたものなんでしょうか……?

以前は疑いもなくそう思っていた私も、今では否定します。
それはご本人のもともとの素質、才能だと考えます。


エホバの証人でなかったら、本当にそんなに"すらすら講話ができ"なかったのでしょうか。
エホバの証人でなかったら、本当にそんなに"漢字の読み書きが得意"でなかったのでしょうか。
社会人になりそうした能力が必要になったとき、「神権宣教学校」を受講しなければその能力は発揮されなかったのでしょうか。

そんなことはないはずです。

まだプレゼン力や漢字の読み書きが必要とされない幼少時代のうちに、「神権宣教学校」によってその能力が早期に引き出されたというだけの話だと思います。

そのような能力は元々あなたが持っていた素質であり、就職後など、必要になればきちんと自分の力で発揮できていたはずだと私は考えています。


もしかしたら、長期に亘って苦労したエホバの証人時代の経験を無駄にしたくないという心理が、私たちにそんなふうに思わせるのかなあと、考えています。













JW思い出供養⑪エホバの証人でない=全部"邪悪"

エホバの証人でない=全部"邪悪"というものみの塔の考え方を痛感した中学時代のエピソード。
Jehovah rewards Pagan nation that respects not only human but also even a life of a small fish.








このお寺、今どうなっているかなと思ってGoogleマップで見てみたところ 今でも筆文字言葉の掲示を続けてました。
実直に実直に。


エホバの証人の母親に、問題を持つ人が一定数いる理由

※この記事の内容はすべて私見です。


JWの中にも良い母親はたくさん見受けられます。そのような女性は、子どもがたとえ"離れた"としても一家が仲睦まじい関係を維持できるようなバランス感覚を持っています。

ではエホバの証人の母親に、問題を持つ人が一定数いる理由は?以下は私の考察です。

JWになったから母親が問題を起こすようになったのではなく、もともと問題がある母親が入信しやすい

A)夫婦が不仲
B)夫がほとんど家に居ない、見捨てられ不安
C)子育て不安が強い
D)身体の具合が悪い
E)社会性が乏しく(労働経験が浅い等)解決方法がわからない
F)時間が余っている


特にAは一番問題に直結すると思っています。逆にB~Fは、Aに起因することが多いのかもしれません。

特にムチ世代のものみの塔の"音信"は、上記のような問題を持つ専業主婦に刺さりやすい"証言"で野外宣教に注力していました。

日本でエホバの証人数が急速に増えた、戦後~80年台は専業主婦世帯数が圧倒的でした。
当然”野外奉仕”も、会える確率の一番高い主婦にターゲットを絞って実施されます。
エホバの証人は男女比で見ると女性が多いのはご存じかと思います。
「幸せな結婚生活の秘訣」「精神の規整をもって子どもを育てる方法」などは伝道の際に高頻度で使われる"証言"のネタです。ちなみに今朝(2017/7/5)、私の最寄り駅に立っていたJWも「幸せな家庭」と書かれたものみの塔を掲げていました。

母親本人が、「懲らしめ」と私情の境界を見失っている

「むち棒を控える者はその子を憎んでいるのであり,子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める。」- 箴言 13:24
「まだ望みのあるうちにあなたの子を打ち懲らせ。これを死に渡すことにあなたの魂の願望をもたげてはならない。」- 箴言 19:18
「むち棒と戒めは知恵を与える。しかし,したい放題にさせて置かれる少年はその母に恥をかかせる。」- 箴言 29:15
ご存じの通り、エホバの証人がかつて"ムチ"の根拠としていた聖句です。エホバの証人はこれらを曲解し、エホバの名において子どもに実物のムチを当てる"権限"を親たちに自覚するよう教育しました。
精神的に未熟な、または余裕のない母親たちは、ムチを当てるたびに「エホバの名において懲らしめているのだ」と自分に言い聞かせてきました。
それを継続するうちに「自分はエホバの代理」という意識が強くなります。

叩くのをエホバが許可している、さらにムチを差し控えるのはむしろ罪と考え始めます。
ものみの塔の組織がムチを与える基準を明示していないのも非常にまずかったと思います。


  1. 前述したような、何らかの問題が降りかかる
  2. 相談できる人も少なく、精神的に余裕がない、そんな時、子どもが想定外の振る舞いをする・・・・・
  3. 夫に相談すべきなのか、言葉で諭すべきなのか、懲らしめのレベル分けができない
  4. 本当に懲らしめが必要なのか、単に自分が腹を立てているだけなのかわからない
  5. わからないので、まずはエホバの命令だからムチを与える、いや与えないのは罪だ


たとえば上記のようなプロセスで、コントロールできない感情をムチにぶつけている母親もいたのではないかと思います。
その結果が、「ムチの理由を覚えていない」「突然怒り出す」という2世の苦悩なのだと考えます。


問題のある母親に対して、子供はどうすればよいか

2書籍が非常に参考になりました。
両書とも読みやすい、わかりやすい本です。PC版のAmazonでサンプル閲覧(「なか見検索」)できます。

「母がしんどい」田房 永子
漫画の体験談です。
「これだ、うちの母おんなじ!」という部分が見つかるかと思います。
まずはカタルシスによる重荷軽減に非常に役立つと思います。



「私は私。母は母。~あなたを苦しめる母親から自由になる本」加藤伊都子
毒母のタイプ別分析が、実例に基づくエピソード別に解説されています。
具体的な対応策も書かれています。



その他、より専門的な知見から毒親問題を分析している書籍
「毒になる母」
「インナーチャイルド」




いわゆる"毒母"について、著名人の見解

美輪明宏の考察









渡辺えりの考察



JW思い出供養⑦奉仕の僕(しもべ) 持ち物チェック~ある金曜の「生活と奉仕」集会編

長老や僕は地味だがなにげにナイスミドル多かったな
Burying memories prj. vol.7 "In My Bag" a Ministerial Servant A Fri night meeting edition.
#JW #cartoon #JehovahsWitnesses #InMyBag #DAYTONA

JW思い出供養⑥エホバ女子 持ち物チェック~ある日曜の集会編

注:私は右下のは持ち歩いてませんから


JW思い出供養⑤鉄則を犯してもシレッと戻ってくるエホバの証人


48  DQN丸出しな大島優子のインスタライブにドン引きしつつも、ある思い出と共に強烈なシンパシーをおぼえたAKB総選挙。




※2017/8/12現在、リンク先の動画は削除されていました。






現役を覚醒させるのは私の使命なのか、それとも驕りなのか

※この記事のツイートはすべて私見です。
























JW思い出供養③霊的家族の肖像

二世の人たちと飲んだ時、ある人に元いた会衆の写真をたくさん見せてもらった。
知らない人ばかりなんだけど、実際に顔を目にすると日頃の恨み言が全く出てこない。
不条理に湧く温かさ、哀れみの気持ち、ある意味故郷。



①6歳、マドンナ。JJI・BBAばかりの群れの奉仕が華やぐ。特開者と結婚してベテルへ。

②8歳、女子力高くて注解も冴えてる。短大でピアノ専攻、不道徳で排斥。

③52歳独身長老。声がでかくて公開講演で繰り出す”ユーモア”が一々寒い。必要のため長崎五島列島へ異動。

④67歳ベテラン開拓者。若い頃は特製のムチ製作方法を会衆に広めた。30人以上を"導いた"ことが公私共に認める伝説。「宿舎」番長。

⑤16歳、不活発な伝道者。エロ本が見つかり強制"自白"。高卒就職を機にフェードアウト。家庭を持ち軽の改造車を乗り回す。

⑥17歳、休暇中は補助開拓。開拓奉仕学校卒業後、即必要のため渡米。アルバイト先の空港職員の白人とデキ婚、排斥。

⑦20歳、身体が弱いため一般奉仕者。うつ病の母親姉妹といつもセットで行動。生涯独身。

⑧45歳、奉仕の僕。専業主婦開拓者の奥さんと二人の子ども。勤務先の半導体関連の中小がいつも"繁忙期"のため開拓奉仕はのらりくらりとかわしている。


大体モデルがいます
そんなこんなで、みんな散り散りバラバラだな
結局からだの弱い人や他のコミュニティに移れないタイプが残るんだよな。

ツイッター投稿まとめ:エホバの証人独特のイントネーション














ツイッター投稿まとめ:承認欲求と自分の安売りについて


ツイッター投稿まとめ:循環論法と思考力のマヒ

ツイッター投稿まとめ:終末預言。統治体「その頃には自分死んでるしテキトーに言っとくか」




※この記事のツイートはすべて私見です。


おかね

今日にわかに、はっきりと認識したことがある。

以前ブログに「未信者との子供作って、久々に記念式にあらわれた開拓者の娘が大歓迎されていたのが解せない」というような記事を書いたが、

やっぱりお金よね。
今考えると、あんなちっぽけな会館でも運営には結構カネがかかる。建物だし、何十人もが使うわけだし。

それを鑑みると、うちみたいな未信者父がいて寄付がろくに出せないような家なんかが優遇されるわけがない。

多少ルールに反しても優遇されたのはやっぱりお金持ちの家だ。思い返せば全員たがわず。

当時の自分はそんなことあり得ないと、はなから考えないようにしていたが、今にわかに認識した。

大いにあり得る、というか、金銭的に会衆を大きく支えてる家族をぞんざいに扱えるわけがない。

逆に会衆内で優位に立ちたいなら、カネにモノ言わせりゃいいんだ。
JW一世で世俗によく通じてる主婦なんかは当たり前の感覚だろう。

建て替えのときも、きっと何百万も出してるのね。

なんでこんなこと、いままで認めなかったんだろうな自分。
二世の一般的感覚の持ち合わせなさは、相当根が深いと思います。

訪問があった

エホバの証人の訪問があった。

カメラ付きインターホンですぐにそれとわかった。



私が引っ越すたびに私の母が、現地の会衆にたまに訪問してもらえるよう

手配をかけていることは予想しており、前々から何回か訪問があった。





今までそれの全てに応対してきた旦那がとても嫌がっていたが、

私は「訪問拒否」の意思を示せば当分は訪問対象から外れることを知っていたので、

前々から訪問者には一言言わなければ、と思っていた。



向こうも私が元信者であることを知っていて訪問してきている可能性があるので、

応対するのはとても億劫でイヤだったが、この日初めて私が応対した。



ドアの前にいたのは初老のご夫婦。身なりや物腰から、おそらく長老夫妻ではないかと思う。

平日昼間にはもぬけの殻と化すマンションだから、

私がドアから出てくると(あっ・・出てきた・・・・)という緊張した面持ちがすぐに見て取れた。

その気持ちは痛いくらいわかる。

私自身も長期間耐えてきた感覚だから。それは初老の大人とは言え同じだろう。







応対すると、夫妻のうち、ご主人のターンだったのだろう、

男性がやさしい口調で話し始めた。

「くつろいでおられたところ、出てきてくださってありがとうございます。実は」

といいながらビラのようなものを取り出しにかかる。



私はもう一人の婦人のほうに視線を走らせた。

品の良いマダムとも表現できるような服装のその婦人は、私と視線がぶつかる前にサッと視線を下にやった。

大変ひきつった面持ちで笑顔はない。



この表情を見て、瞬時にさまざまなことを悟った。



やはり、実家の母親からの依頼でこの訪問は寄越されており、この夫婦は私が元信者であることを知っている。

そして応対した私の服装や表情を見て、私が信心を離れたことを何一つ後悔しておらず、

むしろ自由であり、証人でいたころより幸せであることを知ったのだろう。

つまり、この私には少々の訪問で付け入る隙などは持ち合わせていないことを

向こうも一瞬のうちに悟ったのだろう。





ご主人は少々へんな間をもたせたあと、おもむろに

「今日はぜひともお伝えしたいことがあり・・・聖書について・・・」等、話し始めた。

最近は「エホバの証人」とは一切言わないような手法なのですね。



相手がどういうふうに話を進めるか手に取るようにわかる私は、

相手が文章と文章の間に一呼吸入れるのを見逃さなかった。

間髪いれずに「うちはちょっと。」と断りの文句を一言返す。



ご主人は「ああ、そうですか、あの、わずかな時間で・・」ともうひとかぶせ

相手の本意を見極めるための常套句を差してくる。



何を言えば相手が引き下がらざるをえないかを知っている私は

「すみません、怒られますので」と切り返した。



そして、向こうの気持が痛いほどわかる私には非常に言いづらい台詞を切り出した。

「もう今後は一切うかがっていただく必要ありませんので」

向こうの表情を見る余裕はなかった。



「ああ、そうでしたか。今日はわざわざ戸口に出てきてくださりありがとうございました」

と大変丁寧なあいさつを受けてからドア越しにお別れした。






私にはわかる。

拒絶されたのは彼ら自身ではなく、彼らの信条である。決して訪問した人間自身が否定されたのではない。



でも弱い人間ですから。

家の人が良い反応を示した時はどれほど救われるか。

うだつのあがらない自分の人生が、ある一人に認められたかのような瞬間なのだ。



若者が自分と年端の違わず、自由を謳歌する別の若者から帰れと言われた時は

どのくらい胸をえぐられる気持ちか。

完全奉仕の勤めを終えた帰途は重いグレーに沈み、さらに帰宅後のそして明日からも延々と続く

拒絶される日々は鉛のように重いのだ。














常に逃げに徹するエホバの証人脳

エホバの証人現役時代は、常に自分が誰かに見られていて

頑張ったことはすべていずれどこかで報われると思っていた。

幼少時からのその思考回路はその先何十年も私の考えを支配したと思う。




「常に神に見られているんですよ」

「悪かったことはすぐにバレて皆の前でバラされますが、

良かったことは、まあすぐには無理ではあっても、いずれは報われて自分に返ってくるでしょう」




こんな洗脳に今もどれだけの若者が操られているのか。

目を覚ませ。




会社勤めをしてみろ。

ストレスで鬱になった?胃潰瘍だ?通勤がきつくて腰を悪くした?

誰もかわいそうだなどとは言ってくれない。

耐えられなければ勝手に脱落しろ、の世界だ。

どんなに理由があろうが、すべてが本人の評価に直結する。




こんな時、エホバの証人どもの脳なら即座にこういう思考をするだろう。



「こんなに苦労しているかわいそうな私を神が見ていてくれる。

会衆の人がきっと気づいて世話してくれる。いろいろな面倒な奉仕を大目に見てくれるだろう。

そしてこれが"貯金"(宝とやら)になってかならずこの先いいことがあるに違いない」



実際に脱会したはずの私を、この腐った思考は就職後も5、6年間支配しつづけた。

こんな厳しい局面なのだから何か"神的"なものがきっと見ていて、何らかの形で報われるはずだ、と。



完全に解脱できていない自分を認めたくなくて心の中でも言語化こそしていなかったが、

無意識にこのような甘い希望を抱き日々のつらさを乗り越えていた。



辞めてまた一から出直そうかな、と考えたこともあった。

しかしそれもまたエホバの証人脳にほかならないのだ。



「この仕事が無理なのは、きっと神のご意志でなかったのだろう。

また新しいのを探せばいい。どうせ仕事などこの世にいる間だけなんだから。

新しい世がくればすべてリセットだ。

それにこんな正直な人間である私の素質を、新しい雇い主は見事に見抜いてくれるに違いない。それが神のご意思なら。」



とこうなる。






30歳過ぎて、現職がツラいから辞めて出直し、などという行動は即ち人生の敗北だ。

特別な技能や(いわゆる"この世で")即戦力になる能力でもない限り無理だ。



0から生活を建て直すハメになるが、30過ぎて一から面倒見てくれるような会社など

このご時世ないだろう。期待するほうが甘い。





そしてそんな"見えない誰かが善行を必ず見ていてくれる"的な甘い考えの

エホバの証人たちは、

何のスキルを身につけることなく

人生に何を積み上げることもなく

まるで蜃気楼のような"新世界"を夢に見つづけて無為に時を過ごし、

税金も納めないくせに生活保護に手を出す者も現れるんだろう。




社会的にわざわざ落ちぶれる人たち

エホバの証人という人々は、わざわざ、自ら社会的な立場を落とす人たちである。
高学歴排除(今は規制がゆるくなっているらしいですね)、女や家長以外は非正規雇用を選択する、などだ。
理由はいわずもがな、そのほうが洗脳に導きやすいからだろう。詰まるところはそういうわけだ。

私もこの規制の影響を受けた一人だ。
若い頃の訓練がないために、ヒエラルキーの上位を狙うチャンスなどなかった。
今もヒィヒィいいながら日々の生活だけで精一杯だ。

下記のような人々の中には、エホ証もたくさん含まれるだろう。
資本主義の社会に、いいように使われてるだけですよ。わかってるんですかねみんな?
「開拓奉仕のために」とかなんとか、一般社会から見ればクソみたいなプライドをもってがんばってるんでしょうがね。

YOMIURI ONLINE 9/30 「契約・パートの4割、正社員と同水準の仕事」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090930-OYT1T00494.htm?from=main2

身分の高いエホ証(笑)

エホバの証人をやっていると、人によって待遇が違うと感じることが多々あった。
でも現役のころは素直だったので、「その人その人で異なる状況があって、配慮とか情状酌量とかあるんだろう」と思っていた。

でもそんなことはなかった、ただ騙され、いいようにつかわれていただけなのだと脱退後に気づいた。


一番不愉快な思い出をここに残す。
エホバの証人では未信者と結婚してはならない、付き合うこともだめ、という鉄のおきてがある。
そんなことが発覚しようものなら助言、特権剥奪、排斥というような処分が即刻下される。

・・・はずなのだが、適用されない奴らがいるのだ。
それは私の表現で言うとエホ証の中で「身分の高い」人らである。

ある年の「記念式」の日だった。(記念式とは主イエスキリストが人類のあがないとなり、処刑された日を記念する非常に厳粛な雰囲気で催される式典である)

集会に久しく顔を出していなかったA姉妹の娘が、母親と一緒に出席したのだ。
その腕には生まれたばかりの乳児が抱かれていた。

未信者と恋愛関係に落ち、結婚し、出産した子供である。

娘もA姉妹もこれ以上ないくらい喜びにあふれた笑顔であちこちに愛想振りまき、赤ん坊をみせびらかしている。

周りの信者たちは
「よくいらっしゃいました。赤ちゃん生まれたんですか、おめでとうございます!」
「○○姉妹(娘の名前)、ひさしぶり~!赤ちゃんかわいいー!!」
「このあたりは席の出入りがラクでしょう。ここにどうぞ」
ともてなし放題である。


なにこれ。
ほんま、真面目にすべての欲望をなげうってコツコツと、貧乏生活にも不満のひとつももらさず頑張っている私らに、何がいいたいのん、貴様ら親子は?
主の記念式に出席しにきたあ?
ちげえだろう、赤ん坊を自慢しにきただけだろうが。

下々の私たちは、禁止とされているオイシイことをぬけぬけとしてのける貴様らを、指をくわえて眺めてろってか。
ただでさえ色々な恥、家族から阻害される恐怖、学校の人間関係から阻害される恐怖、そして人生で誰もが味わうはずの特権をとりあげられ、想像を絶する辛抱をしている、年頃の多感な若者たちの前で、貴様ら「開拓者様」は何をやっとんのか。


このような例を筆頭に、エホ証の中にもいやらしいヒエラルキーが根を張っていて、あの閉ざされたコミュニティのなかで一層の人間関係のストレスを生じさせていた。


どんな人が見えない権力を得てふんぞりかえっているのか。

さきほどの親子の例だと、母親は会衆内でも古い開拓者で、女性の中では幅をきかせ、3人の指に入るくらいの強さを誇っていた人だ。
口が達者で、エホ証内のスキャンダルは絶対に見逃さない人である。
バプテスマを受けた若い子について、「あの子ははじめの数回、水に浸かりきらなかったらしい」などという、非常にデリケートなうわさをどんどん広める下品なオバサンだ。
��バプテスマとは、キリスト教徒が”神にこの身をささげます”つまり生涯を神のためにささげますということをあらわすための儀式で、厳格な審査(おそらく身辺調査含む)や教育を経て受けられる一生ものの行為)

家は地元でも古くからの家柄らしく、大きく裕福な家で何不自由なく暮らしている一家である。
娘は「開拓者になるため」に短大で専門分野を学んで卒業したが、在学中に得た自由と、なに不自由なく手に入るお小遣いででチャラチャラと着飾っていた。
女どもは働かなくても車を一人一台所有し、開拓奉仕し放題な家である。


エホ証というコミュニティは、精神面で弱さを抱えた人や、経済的社会的にめぐまれないような人が集まっている集団だから、口がうまくてうわさを撒き散らし、口だけで人々の流れを変えるような人がとにかく強くて様々な場面で勝利(のつもり)していたような気がする。

そしてもうひとつは間違いなく、お金持ち。金を持っている人には皆へりくだっていた気がするな。

しょぼい身の上抱えた人たちだから、ぱっと華やかに見える人のまわりにはチヤホヤな空気がいつも流れていた。
幼い私はいつも「私らはこの華やかな人たちが華やかでいられるようにするための、比較対象のための雑魚」みたいなことを考えていた。


金を持っていたエホ証はなんであんなに持ち上げられていたのだろう。
集会場が老朽化したから改修します、なんてときに匿名でウン十万円もポンと寄付するからか。
なんなのだろう。
まあそれは、一般の人間社会でも同じか。


つまりは、エホ証もただの卑しい”この世の”人たちじゃあないですか。