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ツイッター投稿まとめ:現役時代の、大失恋の話










































ツイッター投稿まとめ:上京時のこと




ブラックな派遣元でしたが、そうは言うても、結構経済的には恵まれたと思います。
しかし東京都で生活するにはやりくりに気をつけなきゃなりませんでした。やっぱり首都圏はお金がかかります。




ちなみに、派遣元への勤務報告の際に添付した連絡用紙が出てきた。
出張にかかる交通費もすべて自腹だったことが切実に訴えられている。(´;ω;`)

さらに当時の金銭計算メモと思われるものも出てきた。
金銭感覚もない上に料理するような時間もなかったため食費が結構かかっている。
そして娯楽費とおぼしき、「娯 400円」・・・w
なんなのかしばらくわからなかったのですが、コレ、多分TSUTAYAのDVDレンタルかな?(笑)娯楽月に400円て・・(´;ω;`)w



このブログ内容について

このブログはエホバの証人2世として育ち、長期間をその宗教にささげることになった、自分の記録です。
記録方法ですが、
その時どんな感情になったか、を詳細に記すことで記録しています。

その体験をしてその人がそのような気持ちになることに、「それは違う」もクソもありません。
実際に私がその時そう感じたことに相違ありません。記憶しているので間違いありません。

どう感じたのかを詳細に記すことで、宗教に支配される人々がどんな目に遭うかを、これを見る人にしらしめるつもりです。

その時その体験をしそう感じた人に、その感じ方は間違っているというつまり事実を否定することは、お互い気の知れた「なあなあコミュニティ」の中ででもやってればよいと思います。

私は自分から自由を奪い、取り返しのつかない若い時代を奪った宗教に断固戦いを挑んでいます。
それに”なあなあ”は無用です。

私は私から貴重な自由を奪った人々が降参するまで(≠それはおそらく私の死ぬ日まででしょう)戦います。


少女時代苦しかったこと(2)高校時代 ファッション

高校時代、大恋愛をしていた。だから学校にいくときも、できるだけみんなみたいにおしゃれにしていたかった。
でも小遣いもなく、流行のものはことごとく排除されるため、みじめな思いしかできなかった。

高校時代は、靴は校則で規定のものがなく、自由に選んだものを各々履いていた。
わたしはみんなの履いていたadidasの3本のラインとロゴの美しさに惹かれ、すごく欲しくてたまらなかったが(20代になり知ったが、あのグリーンのラインはadidasのスタンスミスであった)、欲しいなんていえなかった。怒られてまた晩御飯があやうくなることや、説教で削られるかもしれない睡眠時間が怖かった。

当時、ブランドものの価値がよくわからなかったので、私はadidasではなくても似たようなスニーカーでいいから、みんなみたいにスニーカーを履きたいと思った。
こわごわ母親に頼んでみると、近くの中型スーパーの洋服売り場で2、3千円くらいでワゴンセールしている(泣)ものの中から選んでよいと言ってくれた。
一生懸命選び、2本のブルーのラインのはいった名もなきスニーカーを買ってもらった。とてもうれしかった。
明日からみなと同じかっこうができると。。。(スーパーで投売りされているような、2、3千円のオッサンオバサンが履くような小ダサいスニーカーで喜ぶ少女時代の私(泣))

ただ、洋服や靴を選ぶコツなんてこころえていない。
買って帰ったスニーカーは、実際に通学で履いてみると、少し歩きにくいような余裕がカカトにあった。。。


高校の坂を上りながら、「このスニーカーは新しいからまだなじんでなくて歩きにくいのだ」とあまりその妙な余裕のことは気にしないようにして、カポカポとさせながら歩んだ。
だが・・・

後ろに続く、隣のクラスの美人とその友人が私に聞こえる声で
「だっさ。大きくないですかあ~ どこのメーカーしかもあれ。 笑笑」

・・・めっちゃ傷つきました。ああ、なんだ、私これ買ってもらってよろこんでたけど、これ普通の人からするとダサいんだ。
ぜんぜんわからなかった。。。
傷ついたふうなど絶対にみせず、あらまあなんか言われちゃった~みたいな無邪気な態度で、相手をにらんだりもしない、あのころのけなげな自分がかわいそうだ。もし自分に娘がいたら、絶対絶対あんな思いをさせたくない。




高校三年、冬。
友人の教室を放課後訪れ、話をし、そのあと下校しようとしたが、その教室に手袋を忘れた。
グレーのモヘアの手袋で、たぶん今思うとデザインはよかったと思う。
ただ、モヘアである。「野外宣教」にも「集会」にも、通学にも自転車を使っていたので、てのひら側はぼろぼろに毛玉になってしまっていた。
例によって、買ってほしいなんていえなくてそのままだった。

教室に手袋を取りにもどると、才色兼備で人気者のMさんとその友人が教室にいた。
特に親しくもなかったので、特に声もかけず、手袋を手に取ろうとした。
後ろから二人の吹き出す声がした。振り返ると二人の視線は手袋にあった。

こんなことなら、手袋じたいをせずに学校にいくべきだった・・・と反省した。そのときは自分が「みすぼらしい手袋をせずに学校にいく」選択をしなかったことを責めた。


そうじゃない。エホバの証人の親らよ、
子供が"古くなってきたから新しい手袋を買って欲しい"といえるような家庭環境をなぜ取り上げるんだ。

今の日本を見てほしい。きちんとした身なりが通用する、それが常識の国である。
新しい手袋を買うことは、ぜいたくでも「世のことを追い求める」ことでもない。

子供はこんな小さな事件で深く傷つく。私はこんな事件だが、これはあとをひいた。
自尊心を非常に傷つけてしまい、大きく自信を喪失した、自分はダサい、ぶさいくで一般の人からみると笑える存在であると思い込んだ。

哀れみをさそって言っているのではない。本当に、そう思っていた。



少女時代苦しかったこと(1)ファッション・美肌と、エホバの証人は無縁

地域によって差があるかもしれないが、「エホバの証人」では、いわゆる”流行”のファッションは禁止である。
うちの母親は流行のファッションには悪い意味で敏感で、流行に近い服装をしようものなら(もっともそんな服一切買ってはもえらないので、たまたまそういう服の組み合わせでできたりすると)めっちゃ怒られた。
母親もわが子のためと思ってするのだろうが、無視や食事にありつきにくくなるなど、生活に影響が出るためそういうことで怒らせる面倒は苦痛だった。

小遣いがなかったので、衣服どころか雑誌なんて絶対買えない。
衣服は自分で選んで買うことができないので、20代になり、上京するくらいまでほぼファッションに関する知識がなかった。
ショップになんか、どうやって入ればいいのかわからない。店員さんに話しかけられたらどうしよう。試着しておいて、断ってなんて出られない、そんなときどう逃げればいいんだろう。
そもそもどういうショップにはいれば、どんな価格帯の服がおいてあるのか、この服は何系なファッションなのか。。。

いったいなんでこんなことで悩まされていたんだろう。本当に苦しかった。

あと、化粧なんかも教えてもらえなかった。10代のころはそれなりに肌が白かったのだが、これがどんなに貴重なものか、当時知らなかった。
「野外宣教」と名づけられた勧誘行為のため、夏休みは60時間以上割くのだが、直射日光にさらされまくりである。
幼少期からそばかすのできやすかった私は、なんと無防備に肌の自殺行為を続けていたのだろう。
冬になると消えていたそばかすは、とうとう消えなくなった。
毎年毎年刻印のように蓄積されつづけたメラニンの痕跡は、とうとう頬にシミとなってあらわれた。
上京し、自分で雑誌を買うようになって、ピンとハリのある顔面の肌がどんなに美人の必須条件か知り、愕然とした。
こんなこと、もっと早く知っていればどんなに気をつけたろう。。。

テレビもだめ、雑誌もだめ、友達と買い物もだめ。いったいどうして「きれいでいつづけるためには、身体に手入れをしなければならない」ということを、なんの知識もなしに知れるだろう。

鳥かごの中の鳥、という表現ならまだ美しい。
そんなのじゃあ表現しきれない。
まるで江戸川乱歩の小説に出てきた、「箱詰めで育てられた佝瘻」だったのだ、一番悲劇的に自分をとらえていた時期には本気でそう思っていた。

エホバの証人が現代的なものを禁止するほとんどの理由は、「性の不道徳」から信者を遠ざけるためである。
インターネット、チャット、ファッション、カラオケ、大学進学。
ファッションについては、「集会」での「発表」や「ものみの塔研究」で、身体のラインにぴったりするものは避けましょう、だのいろいろ忠告される。ミニスカートももちろんだめである。

ミニスカートもぴったりめの服も、アートとして、バランスとして美しいから流行るのだ。
その人をきれいにみせるバランスがあるから、それがよいファッションだと認められるのだ。

書いていて腹たってきた。
だめだ、めっちゃいろいろ思い出してきた。

華の時期を、いったい私はどうしてくだらない過ごし方を強いられなければならなかったんだ。

私について(1)私について

上京して数年、ひどい鬱々した気持ちにさいなまれたのち、やっと思いを消化し、経験を手記に残すことにした。
犠牲にした10-20代を非常にもったいなく思い、悔しさをいだいている。
でも過ぎたことは憂い続けてはならない。
簡単に言えばその経緯、またこの状態から立ち返るための自分への確認のためにこれを書く。
また、わたしは宗教二世問題、デートDV問題について、当事者であるうちはことの深刻さに気付かなかった。悩み始めている、おかしいな?と思い始めている人に、気付いてほしい。その思いもあって容易に検索にひっかかるWebツールを選んだ。

・上京、企業に正社員として勤務。
・都内一人暮らし。
・上京後はじめの2年を、付き合った男性のDV、モラルハラスメントにくるしみながら過ごした。しかしそれを克服。
・20代になるまでを「エホバの証人」いわゆる二世として生きてきた。私の人生、良き点も悪きも、すべてここが基点になっている。

こうしてWebツールに記述することは、非常に悩んだ。
体験を書き綴ることでわだかまりを克服できるのではないかと思ったこともあったが、止めた。
それは自分のぜんぶを公開することだ。失敗したらもっとひどくなる。
回復してから、しかもある程度気持ちがおさまってから、気持ちを消化してから、と思った。

現在に至る。