少女時代苦しかったこと(1)ファッション・美肌と、エホバの証人は無縁

地域によって差があるかもしれないが、「エホバの証人」では、いわゆる”流行”のファッションは禁止である。
うちの母親は流行のファッションには悪い意味で敏感で、流行に近い服装をしようものなら(もっともそんな服一切買ってはもえらないので、たまたまそういう服の組み合わせでできたりすると)めっちゃ怒られた。
母親もわが子のためと思ってするのだろうが、無視や食事にありつきにくくなるなど、生活に影響が出るためそういうことで怒らせる面倒は苦痛だった。

小遣いがなかったので、衣服どころか雑誌なんて絶対買えない。
衣服は自分で選んで買うことができないので、20代になり、上京するくらいまでほぼファッションに関する知識がなかった。
ショップになんか、どうやって入ればいいのかわからない。店員さんに話しかけられたらどうしよう。試着しておいて、断ってなんて出られない、そんなときどう逃げればいいんだろう。
そもそもどういうショップにはいれば、どんな価格帯の服がおいてあるのか、この服は何系なファッションなのか。。。

いったいなんでこんなことで悩まされていたんだろう。本当に苦しかった。

あと、化粧なんかも教えてもらえなかった。10代のころはそれなりに肌が白かったのだが、これがどんなに貴重なものか、当時知らなかった。
「野外宣教」と名づけられた勧誘行為のため、夏休みは60時間以上割くのだが、直射日光にさらされまくりである。
幼少期からそばかすのできやすかった私は、なんと無防備に肌の自殺行為を続けていたのだろう。
冬になると消えていたそばかすは、とうとう消えなくなった。
毎年毎年刻印のように蓄積されつづけたメラニンの痕跡は、とうとう頬にシミとなってあらわれた。
上京し、自分で雑誌を買うようになって、ピンとハリのある顔面の肌がどんなに美人の必須条件か知り、愕然とした。
こんなこと、もっと早く知っていればどんなに気をつけたろう。。。

テレビもだめ、雑誌もだめ、友達と買い物もだめ。いったいどうして「きれいでいつづけるためには、身体に手入れをしなければならない」ということを、なんの知識もなしに知れるだろう。

鳥かごの中の鳥、という表現ならまだ美しい。
そんなのじゃあ表現しきれない。
まるで江戸川乱歩の小説に出てきた、「箱詰めで育てられた佝瘻」だったのだ、一番悲劇的に自分をとらえていた時期には本気でそう思っていた。

エホバの証人が現代的なものを禁止するほとんどの理由は、「性の不道徳」から信者を遠ざけるためである。
インターネット、チャット、ファッション、カラオケ、大学進学。
ファッションについては、「集会」での「発表」や「ものみの塔研究」で、身体のラインにぴったりするものは避けましょう、だのいろいろ忠告される。ミニスカートももちろんだめである。

ミニスカートもぴったりめの服も、アートとして、バランスとして美しいから流行るのだ。
その人をきれいにみせるバランスがあるから、それがよいファッションだと認められるのだ。

書いていて腹たってきた。
だめだ、めっちゃいろいろ思い出してきた。

華の時期を、いったい私はどうしてくだらない過ごし方を強いられなければならなかったんだ。