JW思い出供養⑤鉄則を犯してもシレッと戻ってくるエホバの証人
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3:42
48 DQN丸出しな大島優子のインスタライブにドン引きしつつも、ある思い出と共に強烈なシンパシーをおぼえたAKB総選挙。
この帽子の人は大島優子ですが一応貼っときますhttps://t.co/XClgAFspot— Orient (@EwanOrient) 2017年6月18日
※2017/8/12現在、リンク先の動画は削除されていました。
右のエピソードですが、時期から察するに、会衆に交わりながらすでに婚前交渉があったんですね、この姉妹は。— Orient (@EwanOrient) 2017年6月18日
ですが同じ成員でもお咎めアリ/ナシの区別がほんとわからなくて、かなりイラついたのを覚えてます。
アレですかね、偉い開拓者。上納金がたんまり支払える的な。mjks。
今考えても気色悪すぎてクッソいらいらする、あの記念式だけは。— Orient (@EwanOrient) 2017年6月18日
生まれてきた子どもに罪はないよ、そういう意味ではないの。
わっかんないだろうな~わからない人には。
ブログに書いたときも相当色々言われましたから。
— Orient (@EwanOrient) 2017年6月18日
ツイッター投稿まとめ:現役時代の、大失恋の話
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6:17
人生で一番大恋愛した男が、昨日夢に出てきた— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
キャラじゃないんで書くのに抵抗あるんだが・・
最後に後ろ姿見送ったのが確か24歳の時なんで、スゲー昔で、なんで突然脳が思い出したのかわからん。
この話にオチは一切ないので面白い話ではないです あらかじめ。
その人は開拓の傍らのパート先で会った普通の世の人— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
同い年なんだが、自費で大学に行こうとバイトしていた まじめぇ。
19歳から一緒だったが、惚れたのがなんでだったか、いつだったかわからん。
とにかく気が狂うほど好きだった— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
JWである立場上、好きなだけで良心いたみまくりで、ダブルで気が狂いそうだった
22歳の時、私は初めてJW母に嘘をついた— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
これもなんでだったか忘れたけど、その人と夜ドライブにいく流れになった
私は夜中に車でよくフラフラしてたので、確かそんな感じで嘘をついて出かけるのは
なんの苦労もなかったが
めちゃくちゃ良心が痛んだ それを凌駕するくらいどうしても行かねばならなかった感— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
普段から車で出かける趣味持っとくのはおすすめだ、JW2たち。
確か職場の駐車場で待ち合わせた— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
忘れもしない、今も私のメイン銀行のATMパスワードである、あのナンバープレートをつけた
ボロボロ中古の日産パルサーが居た
乗り合わせてとにかく国道を走りまくった— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
何を話したか、全く記憶にない
相手も相当にテンパって道間違えまくっていて、DTなのはバレバレだったが、勿論SJの私に文句を言える筋合いもなかった
酔いが覚めたころに元の駐車場に戻り、パルサーのバンパーに並んで座って— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
延々と会話したが、覚えてない
何話したんだろう、ちょっと知りたいが 多分どうせ中二臭い話
DT・SJコンビは、どちらも勇気奮えず、キス一つなく敗退
次の日からは排斥が怖くて怖くて震え上がっていたはずだが、特に誰にも見つからなかったみたいね(´・ω・`)— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
その男は23歳になったある日、とうとう入学金が貯まったからと言って、関西の大学に出ていった
ボロボロのパルサーを見送ったのが、生でその人を見た最後でした
その人は関西に巣立つ前に、あのパルサーのバンパーに座った姿で私に言った— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
”成人たるもの、やっぱり独り立ちしなきゃだめだと思うよ
信条は間違ってはいないと思うんだけど、本当にずっと家にいたいの?”
失恋に上乗せして、相当ショックだった
その後私は、痛いのを忘れてカッコイイ自分になりきるため、ある劇団に所属し、JW開拓と仕事と演劇でめちゃくちゃな生活をはじめた— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
早朝ヤマト→昼間パート→奉仕→集会→演劇 就寝時間めちゃくちゃ
二度と会うことのないその男に、なんでどうして、認められようとして必死だったのでしょう— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
まったく精神と情緒が育っていないお子様恋愛
その頃、ある家電店の女性店員に、売り物のパソコンでHTMLを書いてネット公開する様子を見せられ、私の人生は一— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
変しました>>>>>>>>>>今に至る(端折りすぎィ)
あの男は私の人生の恩人でもあるのですが、この家電店の店員は真の恩人だったと、今はどうしても思えます
その後、私は28歳で金と知識を完全防備し、急遽集会と各種特権を棄権し、親に相談もなく上京した— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
なんのムシの知らせなのか、私は今日、夢に出てきたあの彼の名前を検索した— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
びっくりした
彼もいつからなのか上京しており、私と全く同業界で活躍していた
パンドラの匣、facebookにはあの人クリソツの男の子を肩車した彼の姿があった— Orient (@EwanOrient)2017年5月28日
私は上京後、色々ヤバい目に遭っているので、顔本などに名前は晒せず、コンタクトをとる術はなし
まあそれでいいのだ ソッとじ。
いまやっと、振り返る余裕が与えられるほど幸福だということなのだろう
身分の高いエホ証(笑)
Posted On:
2:26
エホバの証人をやっていると、人によって待遇が違うと感じることが多々あった。
でも現役のころは素直だったので、「その人その人で異なる状況があって、配慮とか情状酌量とかあるんだろう」と思っていた。
でもそんなことはなかった、ただ騙され、いいようにつかわれていただけなのだと脱退後に気づいた。
一番不愉快な思い出をここに残す。
エホバの証人では未信者と結婚してはならない、付き合うこともだめ、という鉄のおきてがある。
そんなことが発覚しようものなら助言、特権剥奪、排斥というような処分が即刻下される。
・・・はずなのだが、適用されない奴らがいるのだ。
それは私の表現で言うとエホ証の中で「身分の高い」人らである。
ある年の「記念式」の日だった。(記念式とは主イエスキリストが人類のあがないとなり、処刑された日を記念する非常に厳粛な雰囲気で催される式典である)
集会に久しく顔を出していなかったA姉妹の娘が、母親と一緒に出席したのだ。
その腕には生まれたばかりの乳児が抱かれていた。
未信者と恋愛関係に落ち、結婚し、出産した子供である。
娘もA姉妹もこれ以上ないくらい喜びにあふれた笑顔であちこちに愛想振りまき、赤ん坊をみせびらかしている。
周りの信者たちは
「よくいらっしゃいました。赤ちゃん生まれたんですか、おめでとうございます!」
「○○姉妹(娘の名前)、ひさしぶり~!赤ちゃんかわいいー!!」
「このあたりは席の出入りがラクでしょう。ここにどうぞ」
ともてなし放題である。
なにこれ。
ほんま、真面目にすべての欲望をなげうってコツコツと、貧乏生活にも不満のひとつももらさず頑張っている私らに、何がいいたいのん、貴様ら親子は?
主の記念式に出席しにきたあ?
ちげえだろう、赤ん坊を自慢しにきただけだろうが。
下々の私たちは、禁止とされているオイシイことをぬけぬけとしてのける貴様らを、指をくわえて眺めてろってか。
ただでさえ色々な恥、家族から阻害される恐怖、学校の人間関係から阻害される恐怖、そして人生で誰もが味わうはずの特権をとりあげられ、想像を絶する辛抱をしている、年頃の多感な若者たちの前で、貴様ら「開拓者様」は何をやっとんのか。
このような例を筆頭に、エホ証の中にもいやらしいヒエラルキーが根を張っていて、あの閉ざされたコミュニティのなかで一層の人間関係のストレスを生じさせていた。
どんな人が見えない権力を得てふんぞりかえっているのか。
さきほどの親子の例だと、母親は会衆内でも古い開拓者で、女性の中では幅をきかせ、3人の指に入るくらいの強さを誇っていた人だ。
口が達者で、エホ証内のスキャンダルは絶対に見逃さない人である。
バプテスマを受けた若い子について、「あの子ははじめの数回、水に浸かりきらなかったらしい」などという、非常にデリケートなうわさをどんどん広める下品なオバサンだ。
��バプテスマとは、キリスト教徒が”神にこの身をささげます”つまり生涯を神のためにささげますということをあらわすための儀式で、厳格な審査(おそらく身辺調査含む)や教育を経て受けられる一生ものの行為)
家は地元でも古くからの家柄らしく、大きく裕福な家で何不自由なく暮らしている一家である。
娘は「開拓者になるため」に短大で専門分野を学んで卒業したが、在学中に得た自由と、なに不自由なく手に入るお小遣いででチャラチャラと着飾っていた。
女どもは働かなくても車を一人一台所有し、開拓奉仕し放題な家である。
エホ証というコミュニティは、精神面で弱さを抱えた人や、経済的社会的にめぐまれないような人が集まっている集団だから、口がうまくてうわさを撒き散らし、口だけで人々の流れを変えるような人がとにかく強くて様々な場面で勝利(のつもり)していたような気がする。
そしてもうひとつは間違いなく、お金持ち。金を持っている人には皆へりくだっていた気がするな。
しょぼい身の上抱えた人たちだから、ぱっと華やかに見える人のまわりにはチヤホヤな空気がいつも流れていた。
幼い私はいつも「私らはこの華やかな人たちが華やかでいられるようにするための、比較対象のための雑魚」みたいなことを考えていた。
金を持っていたエホ証はなんであんなに持ち上げられていたのだろう。
集会場が老朽化したから改修します、なんてときに匿名でウン十万円もポンと寄付するからか。
なんなのだろう。
まあそれは、一般の人間社会でも同じか。
つまりは、エホ証もただの卑しい”この世の”人たちじゃあないですか。
でも現役のころは素直だったので、「その人その人で異なる状況があって、配慮とか情状酌量とかあるんだろう」と思っていた。
でもそんなことはなかった、ただ騙され、いいようにつかわれていただけなのだと脱退後に気づいた。
一番不愉快な思い出をここに残す。
エホバの証人では未信者と結婚してはならない、付き合うこともだめ、という鉄のおきてがある。
そんなことが発覚しようものなら助言、特権剥奪、排斥というような処分が即刻下される。
・・・はずなのだが、適用されない奴らがいるのだ。
それは私の表現で言うとエホ証の中で「身分の高い」人らである。
ある年の「記念式」の日だった。(記念式とは主イエスキリストが人類のあがないとなり、処刑された日を記念する非常に厳粛な雰囲気で催される式典である)
集会に久しく顔を出していなかったA姉妹の娘が、母親と一緒に出席したのだ。
その腕には生まれたばかりの乳児が抱かれていた。
未信者と恋愛関係に落ち、結婚し、出産した子供である。
娘もA姉妹もこれ以上ないくらい喜びにあふれた笑顔であちこちに愛想振りまき、赤ん坊をみせびらかしている。
周りの信者たちは
「よくいらっしゃいました。赤ちゃん生まれたんですか、おめでとうございます!」
「○○姉妹(娘の名前)、ひさしぶり~!赤ちゃんかわいいー!!」
「このあたりは席の出入りがラクでしょう。ここにどうぞ」
ともてなし放題である。
なにこれ。
ほんま、真面目にすべての欲望をなげうってコツコツと、貧乏生活にも不満のひとつももらさず頑張っている私らに、何がいいたいのん、貴様ら親子は?
主の記念式に出席しにきたあ?
ちげえだろう、赤ん坊を自慢しにきただけだろうが。
下々の私たちは、禁止とされているオイシイことをぬけぬけとしてのける貴様らを、指をくわえて眺めてろってか。
ただでさえ色々な恥、家族から阻害される恐怖、学校の人間関係から阻害される恐怖、そして人生で誰もが味わうはずの特権をとりあげられ、想像を絶する辛抱をしている、年頃の多感な若者たちの前で、貴様ら「開拓者様」は何をやっとんのか。
このような例を筆頭に、エホ証の中にもいやらしいヒエラルキーが根を張っていて、あの閉ざされたコミュニティのなかで一層の人間関係のストレスを生じさせていた。
どんな人が見えない権力を得てふんぞりかえっているのか。
さきほどの親子の例だと、母親は会衆内でも古い開拓者で、女性の中では幅をきかせ、3人の指に入るくらいの強さを誇っていた人だ。
口が達者で、エホ証内のスキャンダルは絶対に見逃さない人である。
バプテスマを受けた若い子について、「あの子ははじめの数回、水に浸かりきらなかったらしい」などという、非常にデリケートなうわさをどんどん広める下品なオバサンだ。
��バプテスマとは、キリスト教徒が”神にこの身をささげます”つまり生涯を神のためにささげますということをあらわすための儀式で、厳格な審査(おそらく身辺調査含む)や教育を経て受けられる一生ものの行為)
家は地元でも古くからの家柄らしく、大きく裕福な家で何不自由なく暮らしている一家である。
娘は「開拓者になるため」に短大で専門分野を学んで卒業したが、在学中に得た自由と、なに不自由なく手に入るお小遣いででチャラチャラと着飾っていた。
女どもは働かなくても車を一人一台所有し、開拓奉仕し放題な家である。
エホ証というコミュニティは、精神面で弱さを抱えた人や、経済的社会的にめぐまれないような人が集まっている集団だから、口がうまくてうわさを撒き散らし、口だけで人々の流れを変えるような人がとにかく強くて様々な場面で勝利(のつもり)していたような気がする。
そしてもうひとつは間違いなく、お金持ち。金を持っている人には皆へりくだっていた気がするな。
しょぼい身の上抱えた人たちだから、ぱっと華やかに見える人のまわりにはチヤホヤな空気がいつも流れていた。
幼い私はいつも「私らはこの華やかな人たちが華やかでいられるようにするための、比較対象のための雑魚」みたいなことを考えていた。
金を持っていたエホ証はなんであんなに持ち上げられていたのだろう。
集会場が老朽化したから改修します、なんてときに匿名でウン十万円もポンと寄付するからか。
なんなのだろう。
まあそれは、一般の人間社会でも同じか。
つまりは、エホ証もただの卑しい”この世の”人たちじゃあないですか。