JW思い出供養②ハートをぶっ潰すエホバの証人

私が中2の時の話です。
自分が愛したものを、目の前で全否定されるあの気持ち。




JW思い出供養①走行中の車から飛び降りるエホバの証人

私が小1の頃の強烈に記憶に残っている話です。
私の母親にとってエホバ、集会は子どもの命より大切だった。

というか正確に言うと「必要なものはすべて与えられる」理論で、正しいことをすれば怪我はしない!死なない!みたいな盲目スタイルの信仰なのですね。





ツイッター投稿まとめ:毒親の定義



※この記事のツイートはすべて私見です。

















ツイッター投稿まとめ:現役時代の、大失恋の話










































子供の魂:Reprise




ツイッター界隈ではJW orgのアニメが物議を醸しているわけですが、

↓コピペで
ttps://www.jw.org/ja/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88/%E5%AE%B6%E6%97%8F/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AE%E5%8F%8B%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8D%E3%81%86/%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8C%E3%81%86/





カレブがこのとき、心から「えほばを悲しませたくない!」「魔法のおもちゃを捨てでもえほば喜ばせたい!」と思えるなら、母親の指導がカレブのその信仰心を”助けた”と言えるんでしょう。

そうでないのに、恐ろしいママの形相に怯えたがゆえに首をタテに振ったのなら、それはただの強制でしょう。





そしてママが”代替のレクリエーション”として自転車遊びをカレブにすすめてますが、カレブは遊び終わった後どう感じたんでしょうね。

「あー・・・またうまいこと言いくるめられたわ。まほうのおもちゃ、捨てるのが嫌だった・・・」と思ったのか、
「別のレクリエーションでも十分楽しめるね こっちを選んでよかった!」と思ったのか。

このときカレブが感じたのが本来の彼の生きたい生き方じゃないでしょうか。
どちらを選択したにせよ、それは本来親が怒ることではないのではないでしょうか。


子供の魂:親に隠れてでも、やっていたこと

今回は、親が必死に子供の人生を方向づけようとしても、結局親に子供の思想は変えられないことについて書きました。




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エホバの証人2世だった私には、子供時代から働きはじめるまで小遣い制というものがなかったので「世のならわし」を仕入れるのに苦労しました。
友達経由で漫画投稿したり、「世の」音楽を入手していましたが、いずれにしても多少の金がかかるのでいつも数百円を工面することばかり考えている悪しき中高生JW(しかも洗礼(献身)済み)でした。

漫画絵の投稿はたいていアニメディアでしたが、載った号を購入するには380円(?確か)が必要でした。
音楽のほうは深夜聞きまくっていたラジオを録音する膨大な量の記録媒体とか、友達に借りたカードでレンタルCDを入手する数百円がいつも必要でした。

で、カネを工面する方法なのですが

小遣い制度はないものの、祖父母の家にいくと毎回「へんな宗教のせいで不憫だから」と小遣いがもらえました。
しかしこれは基本的に全額JW母が没シュートします。
ところが「読みたい本が」「服が古くなった」など具体的な使途があればいくらか子供の手元に残しました。

こういうイレギュラー収入で得たカネで買い物をし、釣り銭でうまく差額を発生させ、母親の把握していない金額を作る、つまりマネーロンダリングして数百円を生み出していました。


高校のとき小遣い管理が厳しくなり小遣い帳をつけさせられた時期があり、この時はかなり苦労しました。
結局、じいちゃんにもらった小遣いから、親に渡す前に500円抜いておくという、良心の痛む方法を取らざるを得ませんでした。


抜いたカネは押し入れ上の天井板を剥がして屋根裏に隠していました。
購入したアニメディアとかもです。


※これらは社会人になって忘れた頃に母親にみつかりました。
また発狂されるかと肩をすぼめましたが、意外にも母は怒りませんでした。
「こんなところから……なんか……でてきた……ね……(´・ω・`)」
みたいな感じで、恐らく子供への過度な規制が招いたことなのね……、と悟ったような珍しくしょんぼりした態度でした。
知るか。


アニメのビデオ予約してくれたり、レンタルのカード貸してくれたりとか、漫画投稿のため住所貸してくれたりとか、中高生のときの(世の)友達にはずいぶん助けられました。
「サタンの体制に染まった」世の人々に大変めぐまれ、今の私があります。


何が言いたいかというと、多分当時の私はあれだけ規制しまくられていてもああいうことがやりたくてたまりませんでした。
そしてそれらの活動を絶対に親に見つからないという自信がありました。
そのくらい念には念を入れめちゃくちゃ注意していました。
それから、たとえ見つかったとしてあらゆる手をつくして隠れて続けたと思います。


で、結論なのですが、子供はある程度知恵がついたら、物事を規制・強制することで思想の根本を変えさせることは無理です。
若い人間のリビドー(ここでは性欲ではなく)は、それを忘れた大人の想像のナナメ上を行く激しさで、その表現欲や渇望はものすごい圧力でさからえません。信じられないパワーで目標を達成しようとします。


なんとしても実現するときにはもう、その子の核にはエホバの教えより大事なものがあるのです。
エホバの教えがもともと根ざす苗床ではなかったということです。
これは親の育て方の問題ではなく、その子供の本来の姿なのだと思います。

多分それをダメだと取り上げたりするならば、必ず何らかの形で問題が発生するでしょう。
ケンカ、うそ、不和、不機嫌、反抗、嫌悪、八つ当たり、隠し事。

親が教育や鞭でもって子供の自己まで変えようというのは越権だと思います。

教育やしつけは、何者にも騙されないで済むように、また限られた人生をより効率よく使う方法を伝授することにすぎないと思います。

子供と言えど単独の人格であり、親のクローン人形ではない。アナタが腹痛めて産んだかもしれないが、懐痛めて育て上げたかもしれないが、子供はアナタとは別の人格であって、アナタに人格のクリーンインストールを任せているわけではない。

それの証拠に、親は子供よりも先に、または子供とは別に死んで行く。
他者から解放された一個体なのだと思います。



永遠の命

フェードアウトを決め家から遠く離れ、一人の生活を切り開いた頃、それまであんまり具体的に考えようとしなかったあることに脳内で焦点を合わせるようになった。


“あー、、やっぱり私もいつか死ぬんだなあ”


子供の頃から「永遠の命」の教えをずーっと何となく疑っていたけれど、それでいながら永遠の命にすがっているようなメンタリティだった。


“うわあ、、、このあっという間に過ぎる10年サイクルをあと5回くらい繰り返したら、
身体もガッタガタになって、いつ死ぬかと準備をするような年齢になってるんだなあ”

“疎まれながら世話されて、あの棺桶入って、参列者の時間をとって、あの焼却炉に入るのかあ。。”


と、それが本当に起きるんだとハッキリ考えるようになり恐ろしかった。そこまで具体的に考えたことがなかったから。


突然「永遠の命」の希望を失ったことに何年も苦しんだが、今はわりと解放されている。

核ミサイルの脅威があるから、Jアラートの音を認知しときましょうとか、シェルターが売れているとかひっきりなしにニュースでやってるんだけど、そんな目に遭うなんてものすごい確率だし、それにそんなものに巻き込まれてまで、あらゆる手を尽くして生き残ってなんになるかなぁ~と、考えている。

そんな心配したり準備しながらビクビクと生活するほうが時間の無駄。それに自分が死んだところで誰も困らないし、自分自身も死んでなんか困ることあるかなあ?と考えたとき、特に何もない。うちは家族もしっかりしてるからしっかり生きるし。

とりあえず、今生きている限りは、生きていくための金を稼ぐし絶対この生活は崩さないし、ひとの迷惑にならないように生きる。そこは心に誓っている。


以前同人誌なかまに奨められて読んだ漫画の、湧太という主人公にめちゃくちゃ憧れる。
この主人公は人魚の肉を食ったがために永遠に生きなきゃならなくなり、どれだけ人生に飽々したり痛い思いをしても、人魚の肉の呪いゆえに死ねず、死ねないことに苦しみながら生きている、という設定。
しかし人魚を食った当時の若さのままで永遠に生きるという設定なので、私にとっては本当に理想的な永遠の命。


元エホバの証人のSNSを見ていると「永遠に生きてどうすんだよ」みたいな人、たくさんいるのだけど、私は肉体が若いのならば好きなだけ永遠に生きたいなあ。
戦争時代、超AI化社会、氷河期とかに、人がどんなふうに生きるのか体験したいし、いろんなやつと付き合いたいし、バックパッカーでもっといろんなところに行く。
寝ることと、何もせず時間をムダにすることが好きなので、永遠に時間をムダにするわぁ。


人魚の森 高橋 留美子 @amazonJP(アフィリンクではありません。単純なリンクです。)